雪の積もった、夕景。
普段の暗い風景が雪の白さで明るくなっている、かといって足元が見えるかといえば、ただ白いだけで地面。
何とかひと様の足跡が見えるが、そこはどれだけ雪が積もっているのか分からないので当てずっぽで歩いていると突然、ずぼっーと足が埋まる。
明るいというだけのいわば白い闇のようなもの。
そんな白い闇は、明るくても手持ちのでは撮影出来ず、シャッター速度が3秒、5秒と長くなるのでカメラを三脚固定すると足跡まではっきりカメラは写る。

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出雲崎町の入り江の漁港。
この日は波もなく忙しない時を過ぎた静かな時間の船着場だった、時間が経ってくると船は各家の裏に置かれたような感じだった。
そういえば僕の住んでいる町内では、家の裏うらは車庫になっている、そうするとさしずめココの船は自家用船ってことなのだろうなあ。


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妻入りの街並みを南から北方向へと歩いた。切り妻の屋根がずらりとならんだ街並みは北国街道、かつては越後一賑やかだったのかもしれないが、冬の今は静かな街並み、そんな雰囲気に惚れた。
左側には海、右は山、切り妻屋根に右側の山面には寺、寺、寺、神社と街の通りは同じような特徴をつかみにくい風景、でも飽きがこない町歩き。
時々どこがどこやら何処を歩いているのかわからなくなるが、ほぼまっすぐな街並みなので迷子になる心配はまったくないのでどこへも脇道へと入って行ける。

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スタジアムの森、積雪は5cm、防水のカジュアルシューズで雪の上を歩く。
どこへでも足跡のない所へと歩いていける、10cmを超えると誰かの足跡をたどるのだが、このくらいの積雪ならボーダレスに好きなところを歩ける。
気温が低いので雪は凍っていてか歩くたび、雪を踏みつけるたびにグッ、グッ、グッと音がした、風がないので十分い耐えられる寒さ。



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自分の生きている今の時間と目の前に見えている風景が違う時間流れじゃないだろうかと感じることがある、大自然の風景を見ると
そんな気になることがあるが、例えば街の真ん中での人のいない公園、開園前遊園地、夜中のショッピングモールとか、しーんと静まり返った風景を見るとそこに流れる時間は自分の知っている風景と違うと感じる。
何の為に、誰の為にあるのだろうと思ってしまうような静かな時間の風景、目に見えてない人間以外のもののなのか等と思う、時折公園のブランコが揺れているのを見たり、誰もいないはず所で音が突然したりと、やっぱりなあと思うことがある。

そんな所は時間の流れもゆったりとまったりとしているように思うのだが、どの道時間は止まっておらず流れてはいるのだ。







全部の写真ではないけれど小さく白くちらちらと写っているのは雪ある、ドラマに出てきそうな発泡スチロールの粒々を降らせたように落ちてくる、
以前使用のニコンのカメラだったらこんな風に撮れていたかどうか、感度の性能と明るいレンズゆえだなあと、僕は撮ったものを見てニンマリしている。
雪は僕は基本的には嫌いだけれど、こんな風景を撮っているいると雪も悪くないと思えてくる。

上空から、こんな小さい粒のままで地上に落ちてくるってことは気温が低くいので解けないっていうこと、それをこんな風に撮れるのだ、ニコンのカメラが悪い訳では決してない、やっぱりCanon5D MarkⅡが、すごいのだ。


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道路に雪がないというだけで、そして陽が指していることだけでも足取りを軽くさせる。
鼻歌でもでそうなくらいに♪ 「次はあそこも行ってみようか。」てなもんだ。
昨年の今頃お出掛け先の写真を見ると、雪、雪、氷、、、そんな当り前な冬の風景ばかり、それからすると儲け物のような景色になるだろうか。

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新潟県の海岸線は長い、北から南へと下るならずっと太陽を追いかけるように直線的であり、それゆえに夕日ラインなんと名前の道路もあるくらい。
ともかくも海岸線では当たり前に海がありそして飛ぶカモメ・ウミネコがいる。

港で飛んでいるとものとは違って、海に飛ぶカモメはどんな波もお構いなし波を切るように飛ぶ飛行姿が哀愁をおびたようでカッコいいと思う。








ビーチバレー・コートである。
浜辺に降る雪は、風が強いので積もっても高が知れている、一面が白くなっても解けるのが早いが、
昨年だったかこの近くの浜辺で雪が積もり、荒れた波は白く浜辺へと打ち寄せて、雪の積もった浜辺と白い波で一瞬間白一色の浜の風景を見た。
今日はないだろうと写真を撮ってるとバツ、バツ、バツとアラレが降ってきた、一瞬のうち光景は白くなりかけたが痛くて退散した。

ちなみに、砂浜に白くゴミように見えているのは、砂浜の足跡の上に残った雪、沈んだ部分は風が当たりにくいので雪が融けるのに時間がかかるということだろうか、同様に砂にできた風紋でも同じ。









地元新潟人としては、山よりも海の方が積雪が少ないせいか出掛ける目的地は海辺の方が多い。
「雪山賛歌」だの「雪が降る」、「雪の降る街を」そんな唄の世界は嫌である。「白銀は招くよ」など招かんでほしいくらい。
寒い冬が嫌い、雪も嫌いと言いつつも、こんな光景を見ると”冬も悪くないなあ”と写真を撮ってしまう。

昔、Fピン・パブへ行った時に、「雪は好きか」と聞いた時「初めて見た時はうれしかった」とニコニコ答えていたが、都合の悪いこと聞かれると決まってあるフレーズが出た、「私日本語よくわからない」と答え顔をそらした。





新年明けましておめでとうございます
本年も宜しくお願い申し上げます

正月休みに街を歩く。
新年早々に人気(ひとけ)がない写真ばかりではちと寂しいかと、人を入れてみた。








降って積もった白い雪、海にたとえてみる。
2011年一年が色々あったようにボートは漕ぐと風に吹かれ波に揺れ、沈没しそうになったり引っくり返りそうないなったり、
方向が変れば軌道修正してまた漕いではいずれは目的地着く。
そんな風に目標に向かって来年はそんなみんなの船の行き先がハッピーな年であって欲しい。

本年一年ありがとうございました、2012年はあなたにとって良い年ありますよう祈っております 人(-_-






5m以上はあるだろう堤防を、恐ろしいでかさの化け物に豹変した波がドカーンと襲う。
そんな荒れた日本海があった、10分もすれば眼鏡が潮で白くなってくる、雪だって海からの北風にのって下から降る。
ここには身体を凍えさすような風が吹こうが、波がどんなにうねりろうが高かろうが飛沫が飛ぼうがその上を獲物を探してかカモメが飛ぶ。


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漁師小屋の前に一脚の白い椅子があった。
そこへ手押しの台車に載ったプラスチックコンテナが、「どう、お茶でも?」と、その白い椅子にさも言い寄っているように見えた。

でも、風車たち(風力発電)の手前にあった白いヘルメットは、オブジェなのか、でも誰も冬の海なんて物好きでもないければ来ないだろうにそんなお作っても意味もないだろう。
あれは海に向かって何かの連絡をしているのだろうか、「ほれ~ ヽ(^。^)ノ」 みたいに。

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師走、気持ちは実感がないけれど街の雰囲気は、なんとなく忙しなさそう、それで少しは”師走だなあ”と感じるのだが、
まだまだ尻に火が点いていない僕。
点いた頃には、だいたい12月も終り頃が毎年のこと。

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時間的に予定になかったかが、ちょいと寄ってみようかと歩いてみた。
壁のはげかかった蔵、いいなあと撮ってみたがピンボケ、撮り直したがかえってこっちの方がいいんじゃないかと思えてくる。
陽は翳って来て暗くなりかけていうのでどうもピントが合わせ難い、でも撮って見てみればピンボケ多数だけれどそんなことを許せてくるような町に風景だった。

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カテゴリが、夜景・ステップになってしまう12月の空は、午後4時半で暗い。

師走である、夜の街は1時間もしたらこの暗い街にネオンがつき、人影があちらこちらにと現れるはずある。
そんな街をしらふで撮った、「どうなんだろう、アルコールが入っていたらどんなものを撮るのだろう?」と頭に浮かぶ、
たぶん撮ってる時は何でもパチリパリチと撮りまくり楽しく楽しくって悦に入るだろうが、酔いが醒めた翌日に「なんて事をしたんだろう」( ▽|||)サー と
なるに違いないなあと思った。

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冬の日差しの中を歩く。
光は弱くなって来ている、当然、影もくっきりした夏のそれよりもぼーとした輪郭線ははっきりしなくて細長い。
カメラを持っていなければそんな漠然とした感覚でしかないけれど、撮影時にカメラの露出、ISO設定をするとそれは数値で現れる。
そこには抜けるような青空もなければ、濃い影も存在しない、僕にとっては”もわーん”とした輪郭の世界の風景。

が、先日関東へ旅した時は、あきらかにこちらの冬の光と違った、光も強いし陰も濃かった、そういう訳でいうのではないが太平洋側と日本海側は光と影みたいな関係だろうか、逆に言えば太平洋側ではこんな弱い光は出せないってことだろうか。

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今更に秋もないだろうがと思うのだが、こんな風景を見つけて撮っていると「秋だなあ」、「これぞ晩秋だよなあ」と思えてきた黄色い風景。
黄色い銀杏の葉っぱは、枝にあるよりは地面に落ちている方が秋らしいなあと、ついつい魅入られて何枚も同じ風景を撮った。
とはいえ、やや脱色しかかっ黄色、もう冬は始まっている。


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旅は出掛けるまでは長いのだが、目的達成で行ってしまうと時間の経過するのがえらい早く感じる。
道中でも往路は時間が長いのだけれど復路では、「もうここまで戻ってきたか?」みたいに帰りの時間が短く感じるのと同じことなんだろうか?

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パソコンを始めた頃に東京の下町の印象深い写真を見つけPCの壁紙にしていた。ぽよぽよぽよ~としてくる下町情緒のある写真を毎日眺め、
いつかは行ってみたい、僕も撮ってみたいと思っていたが、それが”下町”っていうだけでどこだかわからない。

ある時、日暮里の「夕やけだんだん」のスナップ写真を見て「ここもいいなあ」と、いつしか”ぽよぽよしてくる町”の想いは僕にとって日暮里・谷中に変っていた。
そんな想いの人ばかりだと思わないが谷中の町をカメラをぶら下げ写真を撮っている人、散策している人をかなり見たがまるで観光地並みであった。
そんな町のあちこち墓地も田舎のそれと違い妙に明るさがあった。

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買ってしまった、たぶん宝くじでも当たらなければ買わないだろうと思っていたが、どう云う訳か買ってしまったCanon5D MarkⅡとそしてCarl Zeissレンズ。
撮ってみたら無理して買って”良かったあ”と嬉しさが込み上げてきた、撮ってモニターで確認すると「うえー!」って思わず叫んでしまった。
終わってしまったと思っていた秋がこんな風に写るのだものなあ。カメラも凄いがレンズも凄い。

* 今現在、表示する大きさの加減がわからない。






本物の鎌倉だ、あそこもここもと欲張っちゃいけないと思いつつも時間だって制限がある。
この日最後にとやってきた明月院までの道、こんな所があったんだと気づく夕暮れ始まる鎌倉、当然明月院は閉まっていたけれど
閉じられた門の前で、どうであろうと「ここは鎌倉なんだ」と、この地に立っている事実が嬉しかった。






海からの風は北風に変ってた、波は潮を飛ばし時間が経つと白く眼鏡を曇らせ、手先を冷たくさせた。
写真を撮ってる体は風で飛ばされるかのように揺れ、風の中の浜辺を歩いていると目からは涙が流れてきた。

冬の日本海が戻ってきた、久しぶりの冬を体感だった。

それにしても、今年は漂着物が多い。
どこかにも書いたけれど夏の新潟・福島洪水で山から流されてきた木々が沖まで流されて時間が経って荒い波と共に浜辺へと流れついたのだと思う、
そうすると3月の震災での津波を考えると東北地方ではやっぱり時間が経ってくるとこんな漂流物あちこちに上がっている、上がってくるのではないだろうか。






やっと雨の上がった午後、雨の合間を縫うかのように新潟駅周辺を散策した。
車から降りて空を見上げては「たぶん大丈夫だろう。」と思いつつも”えいっ!”とばかりに勝負をかけて傘も持たずに歩き回るが、
いつ来るかわからん雨、急かされるかのような気持ちでついつい歩調は早まる、写真もそんな雰囲気が出ただろうか。駅前の銀杏並木は紅葉もピークを過ぎたみたいで意欲をなお欠かせたのかもしれない。




午後の3時を過ぎたらもう夕刻だと思わないといけないくらいに日の暮れるが早い。
秋の夜長なんてのんびりしてたら季節は、いつの間にかすっかり晩秋になっていて昼の明るさよりも夜の暗い時間が長くなって故にか夜の撮影回数も増えてきている。

同じ景色でも夜になり変ってくると、誘蛾灯の青い光に引き寄せられるような虫の如くに僕も怪しげな光へと「何だかキレイ~。」って誘われるようになってくる。






これからだなあ、天候が安定しなくて雪も降る、そうなってくるとカラーよりもモノクロで撮りたくなってくる風景が増えてくる。



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